宝厳院について
概要
大亀山 宝厳院(だいきざん ほうごんいん)は、臨済宗天龍寺派・大本山天龍寺の塔頭寺院です。室町時代に細川頼之公の財をもって、天龍寺開山夢窓国師より三世の法孫にあたる聖仲永光禅師を開山に迎え創建されました。ご本尊は十一面観音菩薩、脇仏には三十三体の観音菩薩、足利尊氏が信仰したと寺伝にある地蔵菩薩像が祀られており、西国三十三ヶ所巡りに等しいと伝えられています。
また、庭園は室町時代の禅僧策彦周良禅師によって作庭されています。嵐山を借景として巧みに取り入れ、また「獅子岩」等の巨岩を配した借景回遊式庭園であり、江戸時代の京都の名所名園を収録した【都林泉名勝図会】にも掲載されています。
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大本山天龍寺
宝厳院は大本山天龍寺の塔頭寺院のひとつです。
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宝厳院山門
自然との調和を意識した素朴な正門は、境内の南東に位置しています。
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嵐山を借景として巧みに取り入れた借景回遊式庭園。宝厳院を代表する文化遺産です。
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本堂、書院、青嶂軒、無礙光堂などのご案内です。
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十一面観世音菩薩像や三十三体観音、障壁画“風河燦燦 三三自在”などのご案内です。
宝厳院の歴史
寺伝によると、宝厳院は、寛正2年(1461年)室町幕府の管領であった細川頼之公の財をもって、天龍寺開山夢窓国師より三世の法孫にあたる聖仲永光禅師を開山に迎え創建されました。
創建時は、現在の京都市上京区の位置にあり、広大な境内を有した寺院でした。応仁元年(1467)から文明9年(1477年)までの約10年間にわたって継続した応仁の乱により京の都は灰燼と化し、宝厳院もまた焼失します。その後、天正年間(1573年 - 1591年)において豊臣秀吉より御朱印料三十二石を付与、徳川幕府も明治に至るまで外護いたしました。その後変遷を経て天龍寺塔頭弘源寺境内に移転後、2002年現在地(旧塔頭寺院跡)に移転再興いたしました。
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細川頼之公
細川頼之公の財をもって宝厳院は創建されました。
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天龍寺開山夢窓国師
夢窓疎石禅師。鎌倉時代末から南北朝時代、室町時代初期にかけての臨済宗の禅僧です。
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聖仲永光禅師
夢窓国師より三世の法孫にあたる禅師。宝厳院を開山されました。